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李世民、趙匡義、永楽帝の事例を見ると、「クーデターで帝位を獲るのは構わんがやった以上はてめえの人生は『名君たること』に捧げろよ」という中国史の巨大な圧力を感じる…
西晋の八王「ワイら王様どまりやから名君にならんでもええやろ」
簒奪して権力を得たやつは普通の王様の何倍も頑張って仕事して成果上げないと人がついてこないぞってことだな
逆に考えるんだ簒奪して名君じゃないやつがいたらそいつは1代のみの変な王朝の主になるだけだから後世視点から見ると別物になるだけ何だと思う
煬帝「せやな」
雍正帝なんかをみるに「隅々まで自分で掌握してないと何処で(かつて自分たちがやったような)謀議がなされるか分からん」と恐れてたのかもね。
太祖の皇后「弟(趙徳芳)を呼んで来て」宦官「弟(趙匡義)ですね、了解っす。」
こういうのがいないと実質長続きしない説
二代目は前任者と同等かそれ上回るの実力が必要とか聞きますが、何代目であろうと以下だと全史を見ますと衰退はしていきますしね( ̄▽ ̄;)
守成は創業より難しですね
明の永楽帝もそうか?
29:44このチャンネルでもエゴサおじさん呼ばわりされている李世民が似たような理由で趙匡義に批判されてるの、当時から似たような扱い受けててほんと面白い。
宋は漢唐に比べると地味な印象を受けますが、調べてみると実に面白い王朝ですよね。鳥人間様 いつも貴重な情報をいただき、ありがとうございます。
宋の時代は中国史上稀にみる大成長の時代だった。燃料に石炭が用いられ製鉄が大いに発展し爆弾や銃すら製造された。ベネチアやシチリアのような小国でもっと豊かだった地域は確かにあるが宋王朝の時代は間違いなく中国人は世界で最も豊かな消費生活を送っていた。宋の時期にはあるいは産業革命が起こってもおかしくなかった。だが古代に学ぶ姿勢を常に持っていても自然を観察し原理を追求する哲学を持っていなかったがゆえに中国人は蒸気機関を作ることができなかった。沈括のような天才すら科学者であるよりも高級官僚でいたいと思った。数世紀の後中華文明が産業革命を成し遂げた西洋にボコられる。儒教マインドと言えばそれまでだが中国にはアリストテレスはいなかった。
足利直義とイメージが被る最期は真逆だけど
興味深い内容でした。実質的には趙匡義によるクーデターに近いものであったものの、すでに宋王朝は趙匡義派閥とも言うべき人々に浸食されていて、武力に訴えるまでもなく趙匡義のものとなった、と言った感じでしょうか。(ほぼ)中華統一を成し遂げたにも関わらず戦争に弱かった面はありますが、統治においてはスーパー名君ぶりを発揮し、長きに渡る王朝の基礎を築いたという点においては、やはり英雄ですね。こんなスーパー名君の子孫に、なんで徽宗のような暗君が生まれたんでしょうね。
王朝創立は趙匡胤、その後の治世は趙匡義。ある意味、理想的な兄弟のバトンタッチでは。道を切り開くものと道を舗装するものが同一である必要は無いのですから。
趙匡胤は都を今さら洛陽にしようとするくらい政治のセンスがなかったから、やっぱり趙匡義とセットでないと長期王朝は成立しなかったんだよね
趙匡義は「カリスマな兄趙匡胤がいなくなってしまった以上、たとえ簒奪になろうとも自分が後継にならないと宋王朝に未来は無い」と決意したのかも。ワーカホリックになったのも過去の帝王批判も、簒奪に対する彼なりの弁解だったのかも知れない。
実際郭威→柴栄→趙匡胤と稀代のカリスマ皇帝達で繋げた状況だったからこそプレッシャーも相当なものだったと思うここで皇帝の基盤を固めなければ今後もカリスマによる禅定でしか成り立たない王朝になりかねなかったし
清の雍正帝と非常に意気投合しそう。
趙匡胤の血統を残したのも良かった。普通なら根絶してる
これだけ様々な手を尽くして王朝の基礎作っても滅びるの一瞬で無常を感じる(徽宗を見ながら
趙匡義がディスった引きこもりそのものですからね、徽宗。
簒奪(あえてこう言う)の引け目を感じていたからこそ職務に精励したんじゃないかとも思える。「お前、腹の底ではわしを軽蔑してるだろ」とかいって家臣を殺しまくるよりはマシだわな。
足利兄弟みたいな関係
彼の即位経緯を見ていると、どうしても「もうひとりの太宗」李世民と、明の永楽帝が頭に浮かんでしまいました。が、同じことを考えておられる方がすでに発言しており「俺だけじゃなかったんだ!」と思った次第です。
感動しちゃった。もちろんこちらで語られる事が全てではないと思うけど…太宗の崩御のところで思わず「がんばった!」と声が出た。帝王…というより、為政者という言葉がぴったりくる。 この二人がよくぞ兄弟であった、と。奇跡としか言いようがない。
趙匡胤、趙匡義の兄弟関係は日本に置き換えると天智、天武の兄弟関係に似てるなァ😅
源頼朝と北条義時とかも。義理だけどw
個人的には秀吉と秀長を思い浮かべました。
趙匡義は名君だろうけど、どこにでも首を突っ込んでくる皇帝の臣下は気が休まるときがなかっただろうね。
文治主義の弊害である軍事力の弱体化によって外患に悩まされたけど、だからこそ内側から崩れる訳にはいかないと皇帝独裁体制を確立させ、諸制度を改革した匡義さんもまた偉大な名君ですな。お兄さんと対照的な性格なのも面白い
北宋王朝の闇を体現する(!?)二代皇帝の動画、お待ちしてました!兄である初代の動画は多いけど、この人のはあまりないので嬉しいです。勉強させて頂きますね。
日本の天皇が羨ましいと中国宋の皇帝が言った話は知っていたけどあれ、趙匡義の話だったのか。てっきり、南宋の皇帝の話と思ってた。
TOSHIの2連撃大好きです😂
個人的には、唐の太宗を批判する資格は無いと思うクーデターで奪っている可能性もある。二人の太宗と同じ事をやった明の永楽帝がプレッシャーがかかったのでは無いかなと自分は考えている。
中国史上でも最上位級ワーカーホリック趙匡義さんの子孫に徽宗くんが生まれてくるの、±収支が釣り合ってる感じがして良いね。タイムマシンがあったら、徽宗くんの事を趙匡義さんに教えに行ってあげたいわww
鳥人間さんの趙匡胤と趙匡義の回の参考文献は恐らく清水書院の『独裁君主の登場 宋の太祖と太宗』かな、名宰相 趙普も取り扱って欲しい
単独ではありませんが、前の名宰相列伝動画で扱われてますよ
@@MOMO-jh7bsご教示ありがとうございます
鳥人間氏の動画は、酒のつまみに最適だぜ
帝位継承の疑惑といいワーカホリックぶりといい中華皇帝としてかく在らねばという自認といい雍正帝と共通する点が多いと感じます、おそらく戦下手であろうという点も()
実際にやるかはともかく、庶民の細事まで関わる心づもりで政治に取り組む姿勢は良い政治家だと思いますね。
兄弟揃って偉い人物。中国では珍しい。
リアル千手兄弟(弟が卑劣様なとこも同じ)
中国以外では珍しくないということ? こんなのは古今東西でどこも同じようなものだろうに。
中国で偉い兄弟と言えば周の武王と周公旦とか司馬師と司馬昭とか
趙匡義『兄貴は好きだけど兄貴の血筋は許さん』
北漢とのつながりで楊家将の話など教えていただけると
ありがとうございます!
ご厚意ありがたや……ありがたや……いつもお力いただいております!!
趙匡胤の死因ってハッキリしちょるんですかね?脳梗塞だったとか?湘山野録の「彼の寝息は雷のようであり」を見て思いました。脳梗塞起こした時に凄いいびきをかくらしいし、兄弟仲良く深酒をして寝入ったところで脳梗塞で死亡とか思いました。
ですね。飲酒と急激な寒さによる脳梗塞もしくは脳溢血で舌が気道に落ち込んで大いびき。しかもその前にクモ膜下出血による頭痛で呂律の回らない舌でうめいていた光景を、柱に斧を打ち付けていた! と見えたのかも。
魅力的だ、趙匡義...
Thanks!
いつもご支援いただき、まっこと感謝感激です!!大変励みになります!!
「他の者に出来たか?ここまでやれたか?この先出来るか?」アニメ化の際は是非CV宮野真守さんでお願いします。李世民とはいろんな意味で相性悪そうw
トシはズルすぎやしませんか????米粒吹いた
「トシちゃん!カンゲキ!!」とか“(田原)トシちゃん“ではないから良し!(良くない?)
趙匡義の即位は相当怪しいと思うけど、五代十国の大乱に戻るよりは100倍マシなのかな。
杜氏が趙匡胤に語ったとされる金匱預盟の怪しさは正に杜氏(都市)伝説…。
外征失敗を繰り返していますが、それを加味しても名君であるのは間違いないですね。
北宋 趙匡義南宋 趙匡胤の家系なんだよなあ
まさか王朝創始の段階で皇室の種の保存まで考えてたのか…太宗は😅
多分、帝位を得たは良いものの、色々失敗して無理にでも皇帝独裁体制を整備しないと権力基盤が危なかったんだろうなー。ついでに制度的にも固めたんだろうけれど。
真面目な姿を見せ続ける必要があったのかもしれないですね
宋王朝って成立から滅亡までずっとおとなしい印象があります。
足利直義も決断次第でこうなってたのかも
趙匡義「禅譲のやり取りや黄衣を着せられる茶番を省いたんだよ」
黒い話もあるが、他五代国のように1代で終わらせず、長く続く王朝の基礎を築いた以上、やはり名君というべきだろう。しかしワーホリっぷりは諸葛亮並みだな
清王朝の歴代皇帝もワーカホリック気味ですよね。なのに長寿
丸くて黒いおじさんの弟で、見た目じゃなく腹の中が真っ黒な趙匡義編おつ何となくのイメージだけどifルートで室町幕府の征夷大将軍職を初代の尊氏から二代目が息子の義詮ではなく実弟の直義が継いだのが趙匡義なのかな~と思ったり
いつもご支援いただき感謝……感謝……!黒いおじさんシリーズ、完走していただきまことにありがとうございます……!
人材マニアなところは魏の曹操に似ているけど戦は下手内政が優れていたところは諸葛亮に似ている
過労死疑惑が出ているのも諸葛亮感がある
そろそろネタ枯渇?すると思ってたらあ、この人物解説してなかったかとか良リメイクしてくれるからこのチャンネル底無しだなそういえば水滸伝の話もまだやってないのか…震えるぜ
いつもありがとうございます。不穏BGM笑笑笑 そういえばこれ鳥人間さんで耳にする頻度が非常に高い笑
24:48 ここで遼に大敗したの痛すぎるな。節度使無くした以上は後の明朝みたく北京あたりに拠点が無いと北方の脅威が垂れ流しに。
ドリフトスピリッツめっちゃ懐かしい〜〜
郭威の悪口はアカンやろ
今「暁のヨナ」という兄弟や従妹の王位継承争いや外国の侵略とか描いた漫画を読んでいるのでなかなか俺的にはタイムリーだった。さすがに母が息子に向かって帝位継承の指図をするのは越権であり儒教的価値観でも?と思うのでブレーンの神話創作能力的には?だったと思う。中華史上最強劉邦の幕僚だったらもっとうまくやれていたものを(と思いたがったかそうでもないか、つくづく「神話」作りは難しいわ独特のセンスいるよね)
杜氏と言うと日本酒の製造責任者のことを思い出していまう……というのはさておき……宮崎市定氏が徳川家康に喩えていた人物でしたよね。柴栄の織田信長や太祖の豊臣秀吉よりもその要素が強いかなとは思います。したたかな点や、国の基盤をガッチリ固めた点は確かに似てはいますよね(遼との敗北には目を逸らしつつ)。
過労死皇帝だ〜い好き♡\(*ˊᗜˋ*)/♡(闇深い)
雍正帝「働き過ぎは良くない!」
宋って弱いイメージあったけど一応遼と戦うんだ
趙匡義は根っからの文官といった感じですね。内政方面の能力はあったんでしょうが、軍事的才能はそれほどでもなかったんでしょうね。北漢の方は兄の趙匡胤の平定失敗を徹底的に研究したからできたのでしょうけど、燕雲十六州奪還作戦時の対遼戦はあまり過去事例の研究が活かせず、大敗したんじゃないかと思います。(遼がまだまだ強かったのもあるだろうけど。)ベトナムはまあ、失敗するのは仕方がない気もしますね。あそこ大体ジャングルでゲリラ戦展開しますし。あと、やはり趙匡義は趙匡胤の生前から次の帝位を狙って水面下で色々工作していたんじゃないかと思いますね。(ヘタすると、陳橋の変の時から)趙匡胤もその息子たちも趙匡義の野心には気づいていたかもしれませんが、その頃にはもうひっくり返せないほど工作が済んでいたため、諦めていた可能性が高いと思います。
「水滸伝」主役の宋江は太宗がモデルだと言われてる。
X-JAPANは宋の頃からあったのか(白目)
オカン「次の皇帝は弟に譲ってあげてよ!」親は血が半分になる孫なんぞよりオッサン オバンになってもw子の方が可愛いと言うからね意外と本当の話しかも知れませんね
兄の死後に皇位を簒奪したにしろ皇帝としてこうあるべきとの独自の哲学をもち理想のために働きずめというところに好感をもった。彼は過去の王朝の君主について批評しているのは面白い。後世の皇帝からはどう評価されたのだろうね。
周公旦になれれば、悪名を残すこともなかったのにね。
徳川幕府における秀忠みたいな存在かねてか在位期間が約20年とイメージより結構長いんやね
王莽「金匱文なんて持ち出すのは禁忌だと思わなかったのか?」
宋の時代は石炭を活用することでエネルギー不足が解消され経済は目覚ましい発展を遂げたが、徹底的な文官優位の制度を整えたため軍事力は歴代統一王朝の中でも最弱で周辺諸国に負けてばかり。当時は契丹、女真、モンゴル、タングート等の諸民族が中国文化を取り入れて強固で持続的な国家体制を持つようになった時期なので、後世から見ると趙匡義の軍制改革と君主独裁制はあまりにもタイミングが悪すぎたと言わざるを得ない。あの靖康の変の惨めさと英雄岳飛の悲劇的最後は何度史書で読んでも胸が締め付けられる。
コメント欄から「趙匡胤・匡義兄弟」を日本史から「足利尊氏・直義兄弟」に例えられる御仁を多く拝見しましたが、私は「天智天皇(中大兄皇子)・天武天皇(大海人皇子)」の関係も強く感じました。壬申の乱で兄の子=弘文帝を自タヒに追いやって皇位を獲得した点や後に「名君」とされた点など近しい感。結局、改革者(創業者)に対する部下や民衆の不満が路線継承の後継者から求心力を奪いライバル的存在の人物を持ち上げちゃうのでしょう。
伊東ライフっぽい掛け声ですなぁ…。
兄を帝位に即ける画策したころには自身が次に即位する心積もりをし、準備万端整えながらチャンスを日々持ってたのかもしれない。それほど己の能力と治天下への意思と政策に「天に選ばれた俺!」レベルで自信持ってたっぽい。李世民と似た者同士だけど、簒奪を当然として微塵も後悔がないのが違いかな。どちらにしても内政能力は歴代君主でも指折りの名君
これ兄貴には信用されてても代が変わって粛清されるとかお約束ですし保身的な面が強かったような気がしますねえ
まってた
彼の子孫である愚物「徽宗」により宋がグチャグチャになった後、南宋で帝位が趙匡胤の子孫に回帰する運命の皮肉。
おおっ、楊家将の舞台!!北方版しか知りませんが(汗
天智天皇と天武天皇兄弟みたい壬申の乱後天武系の皇統だったがいつの間にか天智系に戻った。
これは五代十国時代の家康ですわ、陰険陰湿策謀家のニオイがプンプンするぜぇ……
黒長い横棒を頭に刺して皇帝の暴虐な専横を戒めた宋朝こそ現代の我々が目指すべき文治の姿
帝位を襲った時の闇?と口の悪さ、政務に励む姿勢は清 雍正帝と似てる。そして二人とも名君。
名君なんですがね。暗い所と軍事的なものがどうにもなんですよね。ただ政治的には凄いです。
わぁいワーカーホリック人物足利、ワーカーホリックな人物大好き
えーと森喜朗さんの時が確かこんな感じでアレ、違いましたっけ?
うおおおお!ちょうきょうぎ!!!待ってました!!!兄を殺めた罪深い弟なのか?出来たばかりの王朝の窮地を救った救世主か?
終盤の趙匡義の長所を教えていただけた点はありがたいのですが、遼やベトナムとの敗戦をなぜきっちり取り上げてくれなかったのでしょうか(´・ω・)後、小周后の件については触れないんですね😥私は小周后に酷いことをした報いで、後に趙匡義の子孫のほとんどは女真族の奴隷、慰み者にされたのではないかと考えることがあります・・・趙匡胤の子孫はクビライから丁重に扱われたこととは対照的に
兄貴が中華皇帝屈指の人格者じゃなかったら玄武門の変を想起して危ないところだった
闇深き名君ほんとすき
司馬懿、李世民、趙匡義、みんな晋王…しかし、趙匡胤はなんで、息子を立太子させなかったのかな?
皇太子建てると佞臣が侍って堕落したり親父早く死んでくれねえかな的な事になったり、逆に謀略で狙い撃ちされやすくなるっていう欠陥があるからね逆に立太子しないのもそれはそれで帝位争いの激化を招いたり、今回みたいな簒奪リスクも出てくるわけだけど趙匡胤は前者を重く見たのかな、死ぬ直前にでも指名すればいいとでも思ったのかも
@@fox37812 さん、御明察です。『太子密建』を発明した。雍正帝が天才ですね。
単純に「もっと長生きする予定だった」と、候補者を絞り込めてなかった、かな。で、病床について(4期を悟って)から指名しても遅くないと思ってたとか。でも、他の人も指摘してるように脳梗塞ぽい逝き方だったから、突然だったし、意思疎通もできなくなったっぽいですね。
乙です!
兄のクーデターの後押しして内政を懸命に努め、その後兄の息子風情が王朝を継ぐ事が納得いかなかったのかもしれない・・・
兄の補佐をしてきたけど、兄の子では(余りに政治センスが無さすぎて)国が治まらない!と思ったのかも。個人的には、兄の趙匡胤を手に掛けたとは思っていません。
こんばんは。鳥人間さんはドリフトスピリッツ好きなんですかあ。私は反射神経無いもんですからSLGやRPGばっかりですね。アクションRPGさえ敬遠してますw今日は趙匡義特集ですか。いつも怪しい人物扱いされている人なんで興味津々ですね。まあありがちですね。長男早死(夭折)したから実は次男が家督継いでた話は。天下人あるある人材マニアでしたか。いつも思うのですがきっと普通に脳梗塞かなんかだったと思うんです黒い顔のおじさんは。で、知らせを聞いて一番驚いたのは趙匡義だったと思うんですよ。で、ヤバイヨヤバイヨ。このままだとおいらが暗殺したとか言われちゃうよ、で動かざるを得なかったのかなあって。
北宗の皇帝はこれで完全コンプリートかな?
絶対先代やってるよね
遼に戦いを挑んでいたわけか🤔
タイプとしては曹丕に近いっすね。同族には厳しい。でも正しい判断はする。戦争には弱い。
日本で言う大海人皇子ムーブ
内政強くて勤勉なのは2代目としては理想形なのかな。無理矢理にでも王位につかないと宋王朝が危ないという判断の元、クーデターをしたのかも。
シュミレーションゲームガチ勢
趙匡胤は太子を決めていなかったのか。
中国の津川雅彦もとい徳川家康
お疲れ様です、一言で言えば「政治マニア」だったんでしょうね。だから兄の緩いやり方にイライラしていたのでしょう(笑)
はーい、太宗のおにいさんだよっ!
名前間違えてる、弟は光義...
李世民、趙匡義、永楽帝の事例を見ると、「クーデターで帝位を獲るのは構わんがやった以上はてめえの人生は『名君たること』に捧げろよ」という中国史の巨大な圧力を感じる…
西晋の八王「ワイら王様どまりやから名君にならんでもええやろ」
簒奪して権力を得たやつは普通の王様の何倍も頑張って仕事して成果上げないと人がついてこないぞってことだな
逆に考えるんだ
簒奪して名君じゃないやつがいたら
そいつは1代のみの変な王朝の主になるだけだから
後世視点から見ると
別物になるだけ何だと思う
煬帝「せやな」
雍正帝なんかをみるに「隅々まで自分で掌握してないと何処で(かつて自分たちがやったような)謀議がなされるか分からん」と恐れてたのかもね。
太祖の皇后「弟(趙徳芳)を呼んで来て」
宦官「弟(趙匡義)ですね、了解っす。」
こういうのがいないと実質長続きしない説
二代目は前任者と同等かそれ上回るの実力が必要とか聞きますが、何代目であろうと以下だと全史を見ますと衰退はしていきますしね( ̄▽ ̄;)
守成は創業より難しですね
明の永楽帝もそうか?
29:44このチャンネルでもエゴサおじさん呼ばわりされている李世民が似たような理由で趙匡義に批判されてるの、当時から似たような扱い受けててほんと面白い。
宋は漢唐に比べると地味な印象を受けますが、
調べてみると実に面白い王朝ですよね。
鳥人間様 いつも貴重な情報をいただき、
ありがとうございます。
宋の時代は中国史上稀にみる大成長の時代だった。燃料に石炭が用いられ製鉄が大いに発展し爆弾や銃すら製造された。ベネチアやシチリアのような小国でもっと豊かだった地域は確かにあるが宋王朝の時代は間違いなく中国人は世界で最も豊かな消費生活を送っていた。宋の時期にはあるいは産業革命が起こってもおかしくなかった。だが古代に学ぶ姿勢を常に持っていても自然を観察し原理を追求する哲学を持っていなかったがゆえに中国人は蒸気機関を作ることができなかった。沈括のような天才すら科学者であるよりも高級官僚でいたいと思った。数世紀の後中華文明が産業革命を成し遂げた西洋にボコられる。儒教マインドと言えばそれまでだが中国にはアリストテレスはいなかった。
足利直義とイメージが被る
最期は真逆だけど
興味深い内容でした。
実質的には趙匡義によるクーデターに近いものであったものの、すでに宋王朝は趙匡義派閥とも言うべき人々に浸食されていて、武力に訴えるまでもなく趙匡義のものとなった、と言った感じでしょうか。
(ほぼ)中華統一を成し遂げたにも関わらず戦争に弱かった面はありますが、統治においてはスーパー名君ぶりを発揮し、長きに渡る王朝の基礎を築いたという点においては、やはり英雄ですね。
こんなスーパー名君の子孫に、なんで徽宗のような暗君が生まれたんでしょうね。
王朝創立は趙匡胤、その後の治世は趙匡義。
ある意味、理想的な兄弟のバトンタッチでは。
道を切り開くものと道を舗装するものが同一である必要は無いのですから。
趙匡胤は都を今さら洛陽にしようとするくらい政治のセンスがなかったから、やっぱり趙匡義とセットでないと長期王朝は成立しなかったんだよね
趙匡義は「カリスマな兄趙匡胤がいなくなってしまった以上、たとえ簒奪になろうとも自分が後継にならないと宋王朝に未来は無い」と決意したのかも。
ワーカホリックになったのも過去の帝王批判も、簒奪に対する彼なりの弁解だったのかも知れない。
実際郭威→柴栄→趙匡胤と稀代のカリスマ皇帝達で繋げた状況だったからこそプレッシャーも相当なものだったと思う
ここで皇帝の基盤を固めなければ今後もカリスマによる禅定でしか成り立たない王朝になりかねなかったし
清の雍正帝と非常に意気投合しそう。
趙匡胤の血統を残したのも良かった。普通なら根絶してる
これだけ様々な手を尽くして王朝の基礎作っても滅びるの一瞬で無常を感じる(徽宗を見ながら
趙匡義がディスった引きこもりそのものですからね、徽宗。
簒奪(あえてこう言う)の引け目を感じていたからこそ職務に精励したんじゃないかとも思える。「お前、腹の底ではわしを軽蔑してるだろ」とかいって家臣を殺しまくるよりはマシだわな。
足利兄弟みたいな関係
彼の即位経緯を見ていると、どうしても「もうひとりの太宗」李世民と、明の永楽帝が頭に浮かんでしまいました。が、同じことを考えておられる方がすでに発言しており「俺だけじゃなかったんだ!」と思った次第です。
感動しちゃった。もちろんこちらで語られる事が全てではないと思うけど…太宗の崩御のところで思わず「がんばった!」と声が出た。帝王…というより、為政者という言葉がぴったりくる。
この二人がよくぞ兄弟であった、と。奇跡としか言いようがない。
趙匡胤、趙匡義の兄弟関係は日本に置き換えると天智、天武の兄弟関係に似てるなァ😅
源頼朝と北条義時とかも。義理だけどw
個人的には秀吉と秀長を思い浮かべました。
趙匡義は名君だろうけど、どこにでも首を突っ込んでくる皇帝の臣下は気が休まるときがなかっただろうね。
文治主義の弊害である軍事力の弱体化によって外患に悩まされたけど、だからこそ内側から崩れる訳にはいかないと皇帝独裁体制を確立させ、諸制度を改革した匡義さんもまた偉大な名君ですな。お兄さんと対照的な性格なのも面白い
北宋王朝の闇を体現する(!?)二代皇帝の動画、お待ちしてました!
兄である初代の動画は多いけど、この人のはあまりないので嬉しいです。勉強させて頂きますね。
日本の天皇が羨ましいと中国宋の皇帝が言った話は知っていたけどあれ、趙匡義の話だったのか。てっきり、南宋の皇帝の話と思ってた。
TOSHIの2連撃大好きです😂
個人的には、唐の太宗を批判する資格は無いと思うクーデターで奪っている可能性もある。
二人の太宗と同じ事をやった明の永楽帝がプレッシャーがかかったのでは無いかなと自分は考えている。
中国史上でも最上位級ワーカーホリック趙匡義さんの子孫に徽宗くんが生まれてくるの、±収支が釣り合ってる感じがして良いね。
タイムマシンがあったら、徽宗くんの事を趙匡義さんに教えに行ってあげたいわww
鳥人間さんの趙匡胤と趙匡義の回の参考文献は恐らく清水書院の『独裁君主の登場 宋の太祖と太宗』かな、名宰相 趙普も取り扱って欲しい
単独ではありませんが、前の名宰相列伝動画で扱われてますよ
@@MOMO-jh7bsご教示ありがとうございます
鳥人間氏の動画は、酒のつまみに最適だぜ
帝位継承の疑惑といいワーカホリックぶりといい中華皇帝としてかく在らねばという自認といい雍正帝と共通する点が多いと感じます、おそらく戦下手であろうという点も()
実際にやるかはともかく、庶民の細事まで関わる心づもりで政治に取り組む姿勢は良い政治家だと思いますね。
兄弟揃って偉い人物。
中国では珍しい。
リアル千手兄弟(弟が卑劣様なとこも同じ)
中国以外では珍しくないということ? こんなのは古今東西でどこも同じようなものだろうに。
中国で偉い兄弟と言えば周の武王と周公旦とか司馬師と司馬昭とか
趙匡義『兄貴は好きだけど兄貴の血筋は許さん』
北漢とのつながりで楊家将の話など教えていただけると
ありがとうございます!
ご厚意ありがたや……ありがたや……
いつもお力いただいております!!
趙匡胤の死因ってハッキリしちょるんですかね?脳梗塞だったとか?
湘山野録の「彼の寝息は雷のようであり」を見て思いました。
脳梗塞起こした時に凄いいびきをかくらしいし、兄弟仲良く深酒をして寝入ったところで脳梗塞で死亡とか思いました。
ですね。
飲酒と急激な寒さによる脳梗塞もしくは脳溢血で舌が気道に落ち込んで大いびき。
しかもその前にクモ膜下出血による頭痛で呂律の回らない舌でうめいていた光景を、柱に斧を打ち付けていた! と見えたのかも。
魅力的だ、趙匡義...
Thanks!
いつもご支援いただき、まっこと感謝感激です!!
大変励みになります!!
「他の者に出来たか?ここまでやれたか?この先出来るか?」アニメ化の際は是非CV宮野真守さんでお願いします。
李世民とはいろんな意味で相性悪そうw
トシはズルすぎやしませんか????
米粒吹いた
「トシちゃん!カンゲキ!!」とか“(田原)トシちゃん“ではないから良し!(良くない?)
趙匡義の即位は相当怪しいと思うけど、五代十国の大乱に戻るよりは100倍マシなのかな。
杜氏が趙匡胤に語ったとされる金匱預盟の怪しさは
正に杜氏(都市)伝説…。
外征失敗を繰り返していますが、それを加味しても名君であるのは間違いないですね。
北宋 趙匡義
南宋 趙匡胤
の家系なんだよなあ
まさか王朝創始の段階で皇室の種の保存まで考えてたのか…太宗は😅
多分、帝位を得たは良いものの、色々失敗して無理にでも皇帝独裁体制を整備しないと権力基盤が危なかったんだろうなー。
ついでに制度的にも固めたんだろうけれど。
真面目な姿を見せ続ける必要があったのかもしれないですね
宋王朝って成立から滅亡までずっとおとなしい印象があります。
足利直義も決断次第でこうなってたのかも
趙匡義「禅譲のやり取りや黄衣を着せられる茶番を省いたんだよ」
黒い話もあるが、他五代国のように1代で終わらせず、長く続く王朝の基礎を築いた以上、やはり名君というべきだろう。
しかしワーホリっぷりは諸葛亮並みだな
清王朝の歴代皇帝もワーカホリック気味ですよね。なのに長寿
丸くて黒いおじさんの弟で、見た目じゃなく腹の中が真っ黒な趙匡義編おつ
何となくのイメージだけどifルートで室町幕府の征夷大将軍職を初代の尊氏から二代目が息子の義詮ではなく実弟の直義が継いだのが趙匡義なのかな~と思ったり
いつもご支援いただき感謝……感謝……!
黒いおじさんシリーズ、完走していただきまことにありがとうございます……!
人材マニアなところは魏の曹操に似ているけど戦は下手
内政が優れていたところは諸葛亮に似ている
過労死疑惑が出ているのも諸葛亮感がある
そろそろネタ枯渇?すると思ってたらあ、この人物解説してなかったかとか良リメイクしてくれるからこのチャンネル底無しだな
そういえば水滸伝の話もまだやってないのか…震えるぜ
いつもありがとうございます。
不穏BGM笑笑笑 そういえばこれ鳥人間さんで耳にする頻度が非常に高い笑
24:48 ここで遼に大敗したの痛すぎるな。節度使無くした以上は後の明朝みたく北京あたりに拠点が無いと北方の脅威が垂れ流しに。
ドリフトスピリッツめっちゃ懐かしい〜〜
郭威の悪口はアカンやろ
今「暁のヨナ」という兄弟や従妹の王位継承争いや外国の侵略とか描いた漫画を読んでいるのでなかなか俺的にはタイムリーだった。さすがに母が息子に向かって帝位継承の指図をするのは越権であり儒教的価値観でも?と思うのでブレーンの神話創作能力的には?だったと思う。中華史上最強劉邦の幕僚だったらもっとうまくやれていたものを(と思いたがったかそうでもないか、つくづく「神話」作りは難しいわ独特のセンスいるよね)
杜氏と言うと日本酒の製造責任者のことを思い出していまう……というのはさておき……
宮崎市定氏が徳川家康に喩えていた人物でしたよね。柴栄の織田信長や太祖の豊臣秀吉よりもその要素が強いかなとは思います。したたかな点や、国の基盤をガッチリ固めた点は確かに似てはいますよね(遼との敗北には目を逸らしつつ)。
過労死皇帝だ〜い好き♡\(*ˊᗜˋ*)/♡(闇深い)
雍正帝「働き過ぎは良くない!」
宋って弱いイメージあったけど一応遼と戦うんだ
趙匡義は根っからの文官といった感じですね。内政方面の能力はあったんでしょうが、軍事的才能はそれほどでもなかったんでしょうね。北漢の方は兄の趙匡胤の平定失敗を徹底的に研究したからできたのでしょうけど、燕雲十六州奪還作戦時の対遼戦はあまり過去事例の研究が活かせず、大敗したんじゃないかと思います。(遼がまだまだ強かったのもあるだろうけど。)ベトナムはまあ、失敗するのは仕方がない気もしますね。あそこ大体ジャングルでゲリラ戦展開しますし。
あと、やはり趙匡義は趙匡胤の生前から次の帝位を狙って水面下で色々工作していたんじゃないかと思いますね。(ヘタすると、陳橋の変の時から)趙匡胤もその息子たちも趙匡義の野心には気づいていたかもしれませんが、その頃にはもうひっくり返せないほど工作が済んでいたため、諦めていた可能性が高いと思います。
「水滸伝」主役の宋江は太宗がモデルだと言われてる。
X-JAPANは宋の頃からあったのか(白目)
オカン「次の皇帝は弟に譲ってあげてよ!」
親は血が半分になる孫なんぞよりオッサン オバンになってもw子の方が可愛いと言うからね
意外と本当の話しかも知れませんね
兄の死後に皇位を簒奪したにしろ皇帝としてこうあるべきとの独自の哲学をもち理想のために働きずめというところに好感をもった。彼は過去の王朝の君主について批評しているのは面白い。後世の皇帝からはどう評価されたのだろうね。
周公旦になれれば、悪名を残すこともなかったのにね。
徳川幕府における秀忠みたいな存在かね
てか在位期間が約20年とイメージより結構長いんやね
王莽「金匱文なんて持ち出すのは禁忌だと思わなかったのか?」
宋の時代は石炭を活用することでエネルギー不足が解消され経済は目覚ましい発展を遂げたが、徹底的な文官優位の制度を整えたため
軍事力は歴代統一王朝の中でも最弱で周辺諸国に負けてばかり。当時は契丹、女真、モンゴル、タングート等の諸民族が中国文化を取り
入れて強固で持続的な国家体制を持つようになった時期なので、後世から見ると趙匡義の軍制改革と君主独裁制はあまりにもタイミング
が悪すぎたと言わざるを得ない。あの靖康の変の惨めさと英雄岳飛の悲劇的最後は何度史書で読んでも胸が締め付けられる。
コメント欄から「趙匡胤・匡義兄弟」を日本史から「足利尊氏・直義兄弟」に例えられる御仁を多く拝見しましたが、私は「天智天皇(中大兄皇子)・天武天皇(大海人皇子)」の関係も強く感じました。
壬申の乱で兄の子=弘文帝を自タヒに追いやって皇位を獲得した点や後に「名君」とされた点など近しい感。
結局、改革者(創業者)に対する部下や民衆の不満が路線継承の後継者から求心力を奪いライバル的存在の人物を持ち上げちゃうのでしょう。
伊東ライフっぽい掛け声ですなぁ…。
兄を帝位に即ける画策したころには自身が次に即位する心積もりをし、準備万端整えながらチャンスを日々持ってたのかもしれない。それほど己の能力と治天下への意思と政策に「天に選ばれた俺!」レベルで自信持ってたっぽい。李世民と似た者同士だけど、簒奪を当然として微塵も後悔がないのが違いかな。どちらにしても内政能力は歴代君主でも指折りの名君
これ兄貴には信用されてても代が変わって粛清されるとかお約束ですし保身的な面が強かったような気がしますねえ
まってた
彼の子孫である愚物「徽宗」により宋がグチャグチャになった後、南宋で帝位が趙匡胤の子孫に回帰する運命の皮肉。
おおっ、楊家将の舞台!!北方版しか知りませんが(汗
天智天皇と天武天皇兄弟みたい
壬申の乱後
天武系の皇統だったが
いつの間にか天智系に
戻った。
これは五代十国時代の家康ですわ、陰険陰湿策謀家のニオイがプンプンするぜぇ……
黒長い横棒を頭に刺して
皇帝の暴虐な専横を戒めた
宋朝こそ現代の我々が
目指すべき文治の姿
帝位を襲った時の闇?と口の悪さ、政務に励む姿勢は清 雍正帝と似てる。
そして二人とも名君。
名君なんですがね。暗い所と軍事的なものがどうにもなんですよね。ただ政治的には凄いです。
わぁいワーカーホリック人物
足利、ワーカーホリックな人物大好き
えーと森喜朗さんの時が確かこんな感じで
アレ、違いましたっけ?
うおおおお!ちょうきょうぎ!!!
待ってました!!!
兄を殺めた罪深い弟なのか?
出来たばかりの王朝の窮地を救った救世主か?
終盤の趙匡義の長所を教えていただけた点はありがたいのですが、遼やベトナムとの敗戦をなぜきっちり取り上げてくれなかったのでしょうか(´・ω・)後、小周后の件については触れないんですね😥私は小周后に酷いことをした報いで、後に趙匡義の子孫のほとんどは女真族の奴隷、慰み者にされたのではないかと考えることがあります・・・趙匡胤の子孫はクビライから丁重に扱われたこととは対照的に
兄貴が中華皇帝屈指の人格者じゃなかったら玄武門の変を想起して危ないところだった
闇深き名君ほんとすき
司馬懿、李世民、趙匡義、みんな晋王…
しかし、趙匡胤はなんで、息子を立太子させなかったのかな?
皇太子建てると佞臣が侍って堕落したり親父早く死んでくれねえかな的な事になったり、逆に謀略で狙い撃ちされやすくなるっていう欠陥があるからね
逆に立太子しないのもそれはそれで帝位争いの激化を招いたり、今回みたいな簒奪リスクも出てくるわけだけど
趙匡胤は前者を重く見たのかな、死ぬ直前にでも指名すればいいとでも思ったのかも
@@fox37812 さん、御明察です。
『太子密建』を発明した。雍正帝が天才ですね。
単純に「もっと長生きする予定だった」と、候補者を絞り込めてなかった、かな。
で、病床について(4期を悟って)から指名しても遅くないと思ってたとか。
でも、他の人も指摘してるように脳梗塞ぽい逝き方だったから、突然だったし、意思疎通もできなくなったっぽいですね。
乙です!
兄のクーデターの後押しして内政を懸命に努め、その後兄の息子風情が王朝を継ぐ事が納得いかなかったのかもしれない・・・
兄の補佐をしてきたけど、兄の子では(余りに政治センスが無さすぎて)国が治まらない!と思ったのかも。
個人的には、兄の趙匡胤を手に掛けたとは思っていません。
こんばんは。鳥人間さんはドリフトスピリッツ好きなんですかあ。私は反射神経無いもんですからSLGやRPGばっかりですね。アクションRPGさえ敬遠してますw
今日は趙匡義特集ですか。いつも怪しい人物扱いされている人なんで興味津々ですね。まあありがちですね。長男早死(夭折)したから実は次男が家督継いでた話は。
天下人あるある人材マニアでしたか。いつも思うのですがきっと普通に脳梗塞かなんかだったと思うんです黒い顔のおじさんは。で、知らせを聞いて一番驚いたのは趙匡義だったと思うんですよ。で、ヤバイヨヤバイヨ。このままだとおいらが暗殺したとか言われちゃうよ、で動かざるを得なかったのかなあって。
北宗の皇帝はこれで完全コンプリートかな?
絶対先代やってるよね
遼に戦いを挑んでいたわけか🤔
タイプとしては曹丕に近いっすね。同族には厳しい。でも正しい判断はする。戦争には弱い。
日本で言う大海人皇子ムーブ
内政強くて勤勉なのは2代目としては理想形なのかな。無理矢理にでも王位につかないと宋王朝が危ないという判断の元、クーデターをしたのかも。
シュミレーションゲームガチ勢
趙匡胤は太子を決めていなかったのか。
中国の津川雅彦もとい徳川家康
お疲れ様です、一言で言えば「政治マニア」だったんでしょうね。だから兄の緩いやり方にイライラしていたのでしょう(笑)
はーい、太宗のおにいさんだよっ!
名前間違えてる、弟は光義...